<第9回>2009.10. |
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ヘンデルとオラトリオ 今年は、ヘンデルの没後250年の記念の年にあたる。近年ヘンデルが作曲した多の オペラやオラトリオが、復活上演されて今まで埋もれていた傑作が多く紹介されてい る。さらにこのメモリアル・イヤーには、頻繁に上演されることと思われるので非常 に楽しみである。 G.F.ヘンデル(1685〜1759)とJ.S.バッハ(1685〜1750)は、同じ年に、同じドイツの プロテスタントの町に生まれたが、その環境はそれぞれに対照的な作曲家と言える。 バッハは、ドイツ国内のみで音楽家として活動し、6年間のケーテン宮廷楽長時代を 除くと、ほとんどを教会音楽に奉仕したと言って良い。そして、最後まで頑なにフー ガを中心とする対位法音楽を追究して止まなかった。 ヘンデルは、ハレに生まれ、大聖堂のオルガニストとして活動を始めるが、18歳の 時に予てからのオペラへの関心からハンブルグに行き、ヴァイオリン奏者及びチェン バロの通奏低音奏者となる。そして誘いもあり、1706年(21歳)にイタリアへと赴く こととなる。フィレンツェからローマに入る。そこで何人かの富裕な枢機卿の世話に なり、オペラやオラトリオならびに多くのカンタータを作曲する機会が与えられた。 又、A.コレッリ、A.スカルラッテッィ、D.スカルラッテッィ、F.ガスパーリ、A.カルダ ーラなど当時のイタリアで活躍していた有名な音楽家と出会うこともできた。この3 年半に及ぶイタリアの体験は、ヘンデルのその後の音楽活動に大きな影響を与えた。 帰路のヴェネツィアで上演した2作目のオペラ「アグリッピーナ」が大成功を収め、 名声を獲得し、多くの誘いの中から、ハノーファーの宮廷楽長に就任した。 この選択 には、ヘンデルの卓越した処世術がものを言っている。オペラ活動を望んでいたヘン デルが、オペラ上演の可能性のほとんどないハノーファーを何故選んだのか?当時ロンドンにおいて、イタリアオペラへの欲求が高まっていて、彼自身、活動の場所はいずれイギリスになると計っていた。 更には、ハノーファー選帝侯はイギリスの王位継 承でやがてイギリス国王になる人物であり、自分がそこへ招かれるという判断からである。その思いのとおり宮廷楽長就任後、紆余曲折はあったものの後半生をイギリスに帰化し、活動の地とした。 デビュー作「リナルド」を初め、多くの名作オペラを作 曲してゆく。1711年イギリスに移ってからの1741年(メサイアの前年)の間に41曲 のオペラを作曲した。しかし、その後はオペラを1曲も作曲しなかった。それに対し てオラトリオは1741年から最後の年1759年までの間に17曲作曲している。ヘンデル が創作の方向をオペラからオラトリオに転換したのは、彼の内的要求でなく外的な要 因によるものである。即ち、このころのイギリスの経済状況が、大きく影響している。 舞台・衣装など費用のかかるオペラからコンサート形式のオラトリオへと創作の中心 を移した。 オラトリオは、「宗教的題材によるコンサート形式の大規模な楽曲」と定義される が、その内容や目的など不明確な点が多い。ヘンデルのオラトリオは、ほとんどが教 会の礼拝での演奏を目的としていない。J.S.バッハの代表的オラトリオ「マタイ受難曲」 「ヨハネ受難曲」「クリスマス・オラトリオ」などは、教会暦による礼拝で演奏する ことを目的として作曲されたので、ヘンデルのオラトリオがコンサートの演奏を目的 に作曲されたので、かなり異なっていると言える。 さて、ヘンデルのオラトリオは、31曲を数える。その内26曲が英語によるオラト リオである。又、その中で17曲が、聖書を題材とする宗教的オラトリオである。有名 な「メサイア」は、宗教的オラトリオに含まれる。 「メサイア」のテキストは、ヘンデルの他のオラトリオと異なり(「エジプトのイ スラエル人」を除く)、すべて聖書からの引用である。テキストは、チャールズ・ジ ェネキンズによって作られ、第1部 予言と降誕、第2部 受難と復活、第3部 永遠の 生命 の部分からなっている。このように、キリストの降誕の予言から受難・復活を扱 う生涯を描く物語のようであるが、テキストは、物語としての筋書きを持っていない。 それ故、レチタティーヴォによる物語の進行がなく、合唱が極めて重要に扱われてい る。通常、オラトリオの中でドラマを盛り上げる手段に多く使われる合唱と異なっている。 ヘンデルの「メサイア」の合唱は、ドラマティックであり、抒情的でもある。そして、ポリフォニックであり、又ホモフォニックである。このようにヘンデル自身の他のオラトリオをも含めて、合唱曲が非常に多様な面を表出している。 これらの合唱曲の間を縫うようにすばらしいアリアが散りばめられている美しいオラトリオである。 そのようなことで、「メサイア」は、1742年のヘンデル自身による初演以来今日まで、世界各国で極めて頻繁に演奏され続けられてきた。モーツァルトによる編曲版などもあり、現在まで様々なスタイルによって演奏されてきた。 19世紀・20世紀には、ロマンティックなスケールの大きい演奏が主流であったが、1980年代からは、バロック様式を基盤とする演奏が多くなっている。 プロ・アマを問わず我が国でも、毎年のように演奏している団体もかなりあるので 是非演奏に触れる機会を持たれると良いと思います。また、「メサイア」のCDは、数 多く出ているので、いろいろな演奏を楽しむ事もできます。
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オンケン 音楽顧問 伊賀美 哲[いがみ さとる] 国立音楽大学声楽科卒業。波多野靖祐、飯山恵己子諸氏に師事。現在、田口宗明氏に師事。指揮法を故櫻井将喜氏に師事。1982年、第7回ウイーン国際夏季音楽ゼミナールでE.ヴェルバ、H.ツァデック両 教授の指導を受ける。1985年フィンランドのルオコラーティ夏季リート講座で、W.モーア、C.カーリー両教授の指導を受け、その後W・モーア教授にウ イーン、東京で指導を受ける。1986年から毎年、リートリサイタルを開催、シューベルトの歌曲集「冬の旅」、「美しい水車小屋の娘」、「白鳥の歌」、 シューマンの歌曲集「詩人の恋」等を歌う。千葉混声合唱団では、ヘンデル「メサイア」、モーツアルト「レクイエム」、J.S.バッハ「ミサ曲ロ短調」「マタイ受難曲」などを指揮する。現在、千葉混声合唱団、かつらぎフィルハーモニー指揮者。 |