<第五回>2009.5. |
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オペラの演出について 今回はオペラについて、特に演出について書こうと思います。 オペラは、歌劇と訳され、文字通り音楽と演劇の要素からなる総合芸術と言われています。18世紀中頃から盛んになり、多くの作曲家が作品を生み出していくこととなった。 19世紀から20世紀初めは、歌手の時代。20世紀中頃までを指揮者の時代。現在は、演出家の時代とも言われている。名歌手の時代を経て、作品の原点に立ち返るべく名指揮者の登場となる。そして天才的演出家の出現である。 たとえば、戦後のバイロイトにおけるW. ヴァーグナーやJ. P. ポネルなどの演出家達である。W. ヴァーグナーの舞台は、具象的なものをすべて排除してシンボライズされたオブジェが舞台上にある。歌手達の動きもできるだけ少なく抑えられている。一方J. P. ポネルの演出であるが、脚本のト書きにあることをできるだけ具象化する舞台と歌手達の演技である。二人の舞台は、極めて対照的である。W. ヴァーグナーの演出では、R. ヴァーグナーの雄大な音楽の世界がさらに豊かに広がりをもって感じられる。また、ポネルの場合は、台本と音楽がまさに一体となり、わかりやすく受け止められる。この二人の演出は、全く異なったアプローチであるが、確実に音楽が生きていることである。このことがオペラの演出において一番大切なことと私は考える。 オペラが演出家の時代と言われるようになったのは、皮肉を込めて言われていると思う。 1970年代後半のバイロイト音楽祭の新演出の「ニーベルングの指環」の演出は、P.ブーレーズ指揮で演出が若いP.シェローであった。しかも彼は、オペラ演出が初めてだということであった。最初の「ラインの黄金」からブーイングがあり騒動となった問題の上演であった。批判も多かったせいか、年々手直しをして確か4年ぐらい上演されたが、演出の基本概念はあまり変わらなかった。また最後の「神々の黄昏」でギービッヒ家の男性の服装が、ナチスの軍服を想像させるものであったのもかなり問題視された。 80年以降は、演出の時代そのもののような様相を呈してくる。伝統的・オーソドックスなものでは、演出にならないと言わんばかりのものが多くなって、音楽作品としてのオペラを殺してしまうようなものも多くなった。演出家が、台本にばかりに注目して音楽を良く理解していないのではと思わざるを得ない。 オペラ作品を媒体として、恰も演劇作品を演出し上演するつもりでいるかのようなものが多すぎる。80年代にW.サヴァリッシュが音楽監督をしていたミュンヘンオペラの「指環」の上演に際して、演出を担当したのがレーンホフであった。彼の演出は、超未来のスペースシャトルの世界であった。 世界中の歌劇場で演奏されるオペラ作品の多くは、天才作曲家が労力を注いだ傑作揃いである。そのような作品に、演出家が何かやらなくてはと、奇をてらったような演出は、逆効果である。早く音楽を生かせる天才演出家が出てくるのを待ち望む。
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オンケン 音楽顧問 伊賀美 哲[いがみ さとる] 国立音楽大学声楽科卒業。波多野靖祐、飯山恵己子諸氏に師事。現在、田口宗明氏に師事。指揮法を故櫻井将喜氏に師事。1982年、第7回ウイーン国際夏季音楽ゼミナールでE.ヴェルバ、H.ツァデック両 教授の指導を受ける。1985年フィンランドのルオコラーティ夏季リート講座で、W.モーア、C.カーリー両教授の指導を受け、その後W・モーア教授にウ イーン、東京で指導を受ける。1986年から毎年、リートリサイタルを開催、シューベルトの歌曲集「冬の旅」、「美しい水車小屋の娘」、「白鳥の歌」、 シューマンの歌曲集「詩人の恋」等を歌う。千葉混声合唱団では、ヘンデル「メサイア」、モーツアルト「レクイエム」、J.S.バッハ「ミサ曲ロ短調」「マタイ受難曲」などを指揮する。現在、千葉混声合唱団、かつらぎフィルハーモニー指揮者。 |