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新日本フィルハーモニーのハイドン・プロジェクト
今回は、今年2月にすみだトリフォニーホールで開催された、ハイドン・プロジェクトについてお話ししたいと思います。
2009年は、ヘンデル没後250年、メンデルスゾーン生誕200年またJ.ハイドンの没後200年の記念の年にあたります。そんな訳で今年は彼らの作品が、今まであまり取り上げられなかったものを含めて数多く演奏され、紹介されることと思います。
「すみだトリフォニー・ハイドン・プロジェクト」は、J. ハイドン生誕200年にあたり、F.ブリュッヘンの提唱により企画された。F.ブリュッヘンについて簡単に紹介しておきます。1934年アムステルダム生まれ。アムステルダム王立音楽院でフルート専攻のかたわらブロックフレーテを学び、さらに音楽学を専攻した。卒業後は、デン・ハーグ王立音楽院古楽科教授、ハーヴァード大学・カリフォーニア大学・バークレイ音楽院等の客員教授を歴任、古楽器演奏の指導や演奏会レコーディング等で活躍している。今日盛んになった古楽器による演奏は、1960年代アムステルダムから発信したとも言える。その仲間たちは、F. ブリュッヘンはじめ、N.アーノンクール、T.コープマン、G.レオンハルト、Ph.ヘレヴェッヘ、クイケン兄弟など現在古楽器演奏で活躍している音楽家たちである。彼らは同じ出発点から活動を始めたが、中世・ルネサンス・バロック音楽に対する考えが少しずつ異なって行き、それぞれの道を歩み今日の活動に至っている。
F.ブリュッヘンは、60年代にブロックフレーテ奏者として活躍し、我が国でも何度か演奏を聴かせてくれた。長身の彼は、普段着で登場し足を組んで椅子に腰掛けて、ルネサンスから現代に及ぶ曲を聴衆と共に楽しむといった感じであった。その後「18世紀オーケストラ」創設メンバーの一人として多方面で活躍している。新日本フィルとは、2005年、07年に続き3度目の指揮となる。
今回の「ハイドン・プロジェクト」は、勿論F. ブリュッヘンの提案によるものである。過去2回の共演でオーケストラ団員からの信頼も篤く、今回の演奏には、大きな期待が持てる。2月6日のオラトリオ「天地創造」に始まり、2月11日から28日まで4日間で第93番から第104番の12曲の交響曲(いわゆるロンドンセット)を演奏する。ハイドンの交響曲を一度にこんなにたくさん聴くことは曾てなかった。私は、1960年頃から半世紀近く演奏会に通っている。恐らく千数百回になると思うが、ハイドンの交響曲は、記憶しているものでも、45番、88番、90番、94番、101番、103番、104番ぐらいである。これは、極めて少ない数である。しかも同じ曲は、複数回聴いた記憶はない。これはハイドンの交響曲が、如何にオーケストラ演奏会のプログラムに取り上げられていないかと言うことである。
ハイドンの交響曲は、ランドン作品表によると協奏交響曲1曲を含めて108曲を数える。今回のプロジェクトの12曲のロンドンセットは、2度のロンドン滞在(第1期1791年から1年半、第2期1794年から1年半)によって生まれた交響曲である。ハイドンが、ロンドンへ旅立つ前にモーツァルトは直接会っているが、これが最後の別れとなってしまった。モーツァルトは、ハイドンを師と仰ぎパパとも呼んでいた。24年あとに生まれ、18年早く死んだモーツァルトは、ハイドンから影響を与えられ、また晩年の作品はハイドンに多くの影響を与えた。
さて、今回のシリーズでは、作曲順に3曲ずつ演奏された。2月11日第96番ニ長調「奇蹟」、第95番ハ短調、第93番ニ長調、15日第94番ト長調「驚愕」、第98番変ロ長調、第97番ハ長調、20日第99番変ホ長調、第100番ト長調「軍隊」、第100番ニ長調「時計」、
28日第102番変ロ長調、第103番変ホ長調「太鼓連打」、第104番ニ長調「ロンドン」。
私は、オラトリオ「天地創造」と4回の交響曲演奏会すべてと3日のリハーサルを聴いた。まず印象に残ったのは、新日フィルの音が今までになく美しかったことである。特に弦楽器が美しい。ヴィブラートを排除した透明な音がすばらしかった。ブリュッヘンは新日フィルを指揮するのは、2005年、2007年に続き3度目になるが、今回はそのバロック奏法に団員がより慣れてきたのだと思う。この技術の上に繰り広げられた演奏は、アーティキュレイションやアゴーギクの見事なものだった。リハーサルで感じたことだが、それはブリュッヘンの細部に至る丁寧な指示で何度も繰り返し練習されていた。その結果、フレイズがまた音楽が言葉のように伝わってきた。特に語り口の難しい、第95番を除く他のすべての交響曲にある冒頭のアダージョ又はラールゴの緩やかなテンポの部分を入念にリハーサルでは練習していた。
演奏会では、どの曲も説得力のあるすばらしい演奏であった。(この原稿を書いている時点で、28日の公演はまだ終わっていない。)殊更に自己主張することなく自然な音楽のの流れの中で語られていた。ハイドンの交響曲が、このように格調高く演奏されているの聴いていられたのはほんとうに幸せな瞬間であった。まさに「交響曲の父」としてのハイドンの面目躍如たるものがそこにあった。今までハイドンの交響曲は、オーケストラ演奏会でかろんじられていたと言える。このように演奏できれば、最良の時間を共有できるのだ。これからも彼の作品がよい演奏で聴けるようになればと願うばかりである。
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