<第15回>2010.3
第十三回  ハイリゲンシュタットの遺書 第十九回
第十四回  ベートーヴェン:交響曲第第6番ヘ長調「田園」Op.68 第二十回
第十五回  1840年シューマンの歌曲 第二十一回
第十六回  P.カザルス 1 第二十二回
第十七回 第二十三回
第十八回 第二十四回
【第1〜12回】
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1840年シューマンの歌曲


  2010年は、シューマンとショパンの生誕200年の年にあたる。
ショパンのピアノ曲は、広く好まれていて、今年はすでに多くの演貴会が催されている。それに比べるとシューマンのピアノ作品は、ポピュラリティの面ではひけをとっているかのようである。ショパンの場合は、ピアノ曲が作品の多くを占めていたのだから。それに対してシューマンは、最初はやはりショパンのようにピアニストとしてピアノ曲を中心に作曲していたが、無理な練習から指を傷めて、作曲家として他のジャンルの作品も多く残している。


 今回は、シューマンの歌曲についてのべることにする。
1840年シューマン30歳の時に突然歌曲を作曲し始める。 これはクララとの恋愛・結婚と大いに関係している。シューマンは、20歳から師であるフリードリヒ・ヴィークのもとに往み込みピアノの指導を受けることになるが、2年後には前述のように指を傷めて作曲家の道を歩行。


1835年ころからヴィークの娘クララとの間に愛が芽生えていた。クララは、シューマンより10歳年下であった。これは父親ヴィークの反対するところとなり、二人の仲は隔てられることとなる。シューマンは、裁判に訴え1840年に勝利し結婚することとなった。
 恋の芽生えからこの裁判0839〜1840)の勝利に至る間に作曲されたピアノ曲、「ソナタ1番・3番」「幻想小曲集]「子供の情景」「クライスレリアーナ」「幻想曲」は、ほかでもないクララヘの愛の情念が内在している。そして具象的言葉を媒介とする歌曲が1840年に堰をを切ったように突如として作曲され、この年だけでも100曲以上の歌曲が生み出された。因みに1840年を「歌曲の年」と呼ばれている。また、翌1841年は「交響曲の年」、1842年は「室内楽の年]と呼ばれるように、同じジャンルの作品を集中的に作曲している。


 さて、1840年の「歌曲の年」に戻ろう。最初の歌曲の多くは、いくつかの歌曲として作曲された。「リーダークライスop.24」(ハイネ)、「ミルテの花Op.25」、「ケルナーの詩による12の歌曲」、「リーダークライスOp.39」(アイヒェンドルフ)、「女の愛と生涯OP.42」(シャミッソー)、「詩人の恋OP.48」(ハイネ)の歌曲などである。

  これらの歌曲のうちテキストのつながりを持った歌曲は、「女の愛と生涯」「詩人の恋」の二つのみであるが、他の歌曲はそれぞれ内容的な共通性・調性などの関連性において歌曲としてのまとまりを持たせていると言える。

 最初のハイネの詩よる「リーダークライス」は、シューマン最初期の歌曲で、ハイネの「歌の本」の詩に9曲作曲されている。後の彼の歌曲のスタイルをまだ完全に確立はしていないが、ハイネの詩をとおしてシューマンらしい抒情性を湛えている。繊細な感情の揺れのようなものを随所に鎗められた美しい曲と言える。 

  1曲目の「毎朝私が起きると」から始まる繊細な感情の揺れは、ほかでもないこの時期のクララヘの愛と通じてゆくものである。第5曲「私の悲しみの美しいりかご」や終曲の「ミツテとバラをもって」は規模の大きな歌曲としても有名で、単独にも演奏される。
  次の「ミルテの花」は、一人の詩人による歌曲ではなく、ケーテ、リュッケルト、ハイネ、モーゼン、バイロン、ムーア、などの詩人が選ばれ、26曲からなる歌曲として作曲された。詩の内容・各曲の関連性は全くないが、すべて抒情的な愛の歌として作曲されていて、結婚式の前日、クララに捧げられている。第1曲「献呈」、第26曲「終わりに」と題し、歌曲としてのまとまりを保っている。「献呈」(リュッケル
ト)「くるみの木」(モーゼン)「蓮の花」(ハイネ)「おまもり」(ゲーテ)「君花のごと」(ハイネ)「東方のバラ](リュッケルト)などは、よく歌われて親しみのある歌曲である。


  「ケルナー歌曲集]は、近年*頻繁に取り上げられるようになり作品の真価が認められてきた。
 第5曲「新緑]が最も親しまれている歌曲と言える。そしてもう一つの「リーダークライス」は、ドイツの森の詩人と言われたアイヒェンドルフの詩による12の歌曲集で、森の神秘や自然を歌っている。この歌曲集は、よく演奏されて有名ですばらしい曲ばかりだが、中でも第5曲「月の夜]第12曲「春の夜」はよく知られている名作である。「女の愛と生涯」は、シヤミッソーの詩に作曲された歌曲集で、恋愛・結婚・出産・夫の死を内容として、8曲からなっている。
 シヤミッソーはフランスで生まれ、青年時代にベルリンに移住した詩人である。 
 この 歌曲集は、前述の歌曲集と異なり、一貫した内容の流れを特った曲集になっている。ほとんど女声によって歌われるが、近年では男性が歌うという変わり種もある。
 最後は、ハイネの詩による歌曲集「詩人の恋」である。 この歌曲集は、まさにシューマンの歌曲集の最高峰にある。特に歌とピアノが今までにないバランスを特っている。特にピアノが単なる作奏でなく、ピアノ曲のような主張をしている。第1曲から第6曲までは、恋の芽生えから歓びを歌い、第7曲から第14曲までは、失恋の痛みを歌い最後の2曲で過ぎ去った愛をアイロニックに描いている。冒頭の調性の定まらないピアノの前奏から恋への不安を示し、最後まで今までにない世界を随所に聴くことができる。

 1840年「歌の年」には、シューマンの全歌曲の3分の1以上が作曲された。これは今までに述べたように、クララとの愛を切り離しては考えられない産物と言える。

ンケン 音楽顧問
伊賀美 哲[いがみ さとる]
 
国立音楽大学声楽科卒業。波多野靖祐、飯山恵己子諸氏に師事。現在、田口宗明氏に師事。指揮法を故櫻井将喜氏に師事。1982年、第7回ウイーン国際夏季音楽ゼミナールでE.ヴェルバ、H.ツァデック両 教授の指導を受ける。1985年フィンランドのルオコラーティ夏季リート講座で、W.モーア、C.カーリー両教授の指導を受け、その後W・モーア教授にウ イーン、東京で指導を受ける。1986年から毎年、リートリサイタルを開催、シューベルトの歌曲集「冬の旅」、「美しい水車小屋の娘」、「白鳥の歌」、 シューマンの歌曲集「詩人の恋」等を歌う。千葉混声合唱団では、ヘンデル「メサイア」、モーツアルト「レクイエム」、J.S.バッハ「ミサ曲ロ短調」「マタイ受難曲」などを指揮する。現在、千葉混声合唱団、かつらぎフィルハーモニー指揮者。