<第14回>2010.2
|
|||||||||||||
【第1〜12回】 はこちら 〔第13回〕 〔第14回〕 〔第15回〕 〔第16回〕 〔第17回〕 〔第18回〕 〔第19回〕 〔第20回〕 〔第21回〕 〔第22回〕 〔第23回〕 〔第24回〕 |
ハイリゲンシュタットは、ヴィーン郊外に広がる今でも閑静な所である。北をドナ ウ川が東へと流れ、背後には小高いカレンベルグの丘を抱く、ヴィーンの森の一角に ある。ベートーヴェンの時代は、ヴィーンの中心から馬車で2〜3時間はかかったの ではないかと思う。今では地下鉄で20分程である。その一角は住宅とホイリゲという 新酒ワインの居酒屋風レストランが多く建ち並ぶ。数多くあるホイリゲも様々で、日 本のファミリーレストランのようなものから、片田舎の居酒屋を思わせるものもある。 家並みからはずれるとワイン用の葡萄畑が広がり、ベートーヴェンの散歩道 (Beethovengang)や「田園交響曲」第2楽章の着想となったと言われる小川が流れてい る。 さて、「田園交響曲」は、1808年に第5交響曲ハ短調「運命」完成後に書き上げら れた。同年12月のテアター・アン・デア・ヴィーンでの初演の時は、先に演奏された「田園交響曲」が第5番で第6番がハ短調交響曲であったが、出版の際に、作曲順の現 在の番号が付けられた。ハ短調交響曲は、単純なモティーフを構築してゆき、無駄な 音の一つもない作品に時間をかけ、推古に推古を重ねて作り上げられた。それに対し、「田園交響曲」は、数年前からのモティーフの一部も見られるが、第5交響曲完成後に、 短期間で作曲された。自ずとこの二つの交響曲には、その違いが如実に聴き取ること ができる。ついでながら、「運命」の呼称は、我が国で必ずと言っていいほどに付け られて呼ばれるが、殊に本国ドイツでは、通常使われなず、単に、ハ短調交響曲(ハ 短調は1曲)ないしは第5(Funfte)と呼ばれる。 第6交響曲ヘ長調は、初演時には、「田園の生活の想い出」と題され、各楽章には 標題が記されていた。しかし、出版時には、各楽章の標題はほぼそのまま記され、タ イトルは「田園交響曲」(Sinfonia Pastrale)とされた。バロック時代から「田園交響曲」 の名称の楽曲は、様々な形で存在するが、ハイドン以来の交響曲で、感情の表出とし ての新たな時代の標題音楽が生み出されることとなった。単なる絵画的な風景描写で なく、自然から受けた感情の描写がここに描かれている。それでは各楽章の標題を次 に記しておく。 第1楽章 Alegro ma non troppo 田園に着いた時の愉快な感情の目覚 第3楽章 Allegro 農民の楽しい集い 第4楽章 Allegro 雷雨 嵐 第5楽章 Allegretto
牧人の歌 嵐のあとの喜ばしい感謝の感情 第1楽章は、社会の雑踏から逃れて、心地よい自然が迎えてくれる。人間社会の煩 わしさから離れ、自然の中に包まれて喜びも憂いも享受する。 第2楽章も静に流れる小川のほとりに佇み、自然との対話を音楽が綴ってゆく。楽 章の終わりに、夜鶯・鶉・郭公の鳴き声が、それぞれフルート・オーボエ・クラリネ ットで模倣される。A. ジイドの小説「田園交響楽」の中で、盲目の少女が育て親に当 たる牧師に連れて行かれたコンサートでこの曲を聴き、まだ見たことのない世の中の 美しさを音で知ることになる。しかし、最後に手術により目が見えるようになり、牧 師と息子の愛の葛藤に悩み、目で見たこの世と人に失望を感じ、小川に身を投げ自ら の命を絶ってしまう。盲目の少女ジェルトリュードが心に描いた美しい世界。耳の聞 こえないベートーヴェンが描いたこの1・2楽章は、少女が聴きとった美しさを彷彿 とさせる。彼は、この数年後の手記に「森の木々が、聖なるかな、聖なるかなと言っ ているのが聞こえる。」と書いている。殊に「田園交響曲」では、自然の中から聞こ えない音・創造主の声を無限に描ききっているように感じる。 第3楽章では、再び人の集いの中に入って行くベートーヴェンの姿、それはすぐに 第4楽章の「雷雨・嵐」によって遮られてしまう。最後の第5楽章「牧人の歌」は、 極めて宗教的な楽章である。「嵐のあとの喜ばしい感謝・・」とあるように、すべて のものが洗い清められたハイリゲンシュタットの田園に響く音。牧人の角笛、明るい 陽光に光る野からの歌、すべてが創造主を賛美する。終結部には、弦楽器群により主 題がコラール風に歌い上げられ、崇高な音楽が奏でられる。 ベートーヴェンの「田園交響曲」は、自然から受けた感情の表出と同時に、宗教的 と言える音楽表現を聴くことが出来る。耳のほとんど聞こえなくなったベートーヴェ ンが、聞こえないが故に自然の中から多くの音を、言葉を聞き取った。それを更に、 豊かな音楽として我々に示してくれた。ジイドのジェルトリュードは見えないが故に ベートーヴェンの交響曲をとおして無限の美しさを見ることができた。
|
||||||||||||
オンケン 音楽顧問 伊賀美 哲[いがみ さとる] 国立音楽大学声楽科卒業。波多野靖祐、飯山恵己子諸氏に師事。現在、田口宗明氏に師事。指揮法を故櫻井将喜氏に師事。1982年、第7回ウイーン国際夏季音楽ゼミナールでE.ヴェルバ、H.ツァデック両 教授の指導を受ける。1985年フィンランドのルオコラーティ夏季リート講座で、W.モーア、C.カーリー両教授の指導を受け、その後W・モーア教授にウ イーン、東京で指導を受ける。1986年から毎年、リートリサイタルを開催、シューベルトの歌曲集「冬の旅」、「美しい水車小屋の娘」、「白鳥の歌」、 シューマンの歌曲集「詩人の恋」等を歌う。千葉混声合唱団では、ヘンデル「メサイア」、モーツアルト「レクイエム」、J.S.バッハ「ミサ曲ロ短調」「マタイ受難曲」などを指揮する。現在、千葉混声合唱団、かつらぎフィルハーモニー指揮者。 |