<第14回>2010.2

第十三回  ハイリゲンシュタットの遺書 第十九回
第十四回  ベートーヴェン:交響曲第第6番ヘ長調「田園」Op.68 第二十回
第十五回  1840年シューマンの歌曲 第二十一回
第十六回  P.カザルス 1 第二十二回
第十七回 第二十三回
第十八回 第二十四回
【第1〜12回】
はこちら


〔第13回〕


〔第14回〕


〔第15回〕


〔第16回〕


〔第17回〕


〔第18回〕



〔第19回〕


〔第20回〕


〔第21回〕


〔第22回〕


〔第23回〕


〔第24回〕



ベートーヴェン:交響曲第第
6番ヘ長調「田園」Op.68


  前回の「ハイリゲンシュタットの遺書」の書かれたヴィーン郊外のハイリゲンシュ タットに関連して、「田園交響曲」について、少し書いてみようと思います。
  耳疾ののため、医師の薦めもあり雑踏の中から離れ、静かなヴィーンの森の一角  をなすハイリゲンシュタットで療養中の180210月にこの有名な遺書を認めた。し かし、死を乗り越えて次々と傑作を生み出してゆく。第3番「エロイカ交響曲」の後 も度々ハイリゲンシュタットで療養しながら、多くの作品を生み出した。1808年完成 の第6交響曲「田園」もハイリゲンシュタットを背景に作曲された。

  ハイリゲンシュタットは、ヴィーン郊外に広がる今でも閑静な所である。北をドナ ウ川が東へと流れ、背後には小高いカレンベルグの丘を抱く、ヴィーンの森の一角に ある。ベートーヴェンの時代は、ヴィーンの中心から馬車で2〜3時間はかかったの ではないかと思う。今では地下鉄で20分程である。その一角は住宅とホイリゲという 新酒ワインの居酒屋風レストランが多く建ち並ぶ。数多くあるホイリゲも様々で、日 本のファミリーレストランのようなものから、片田舎の居酒屋を思わせるものもある。 家並みからはずれるとワイン用の葡萄畑が広がり、ベートーヴェンの散歩道 (Beethovengang)や「田園交響曲」第2楽章の着想となったと言われる小川が流れてい る。

  さて、「田園交響曲」は、1808年に第5交響曲ハ短調「運命」完成後に書き上げら れた。同年12月のテアター・アン・デア・ヴィーンでの初演の時は、先に演奏された「田園交響曲」が第5番で第6番がハ短調交響曲であったが、出版の際に、作曲順の現 在の番号が付けられた。ハ短調交響曲は、単純なモティーフを構築してゆき、無駄な 音の一つもない作品に時間をかけ、推古に推古を重ねて作り上げられた。それに対し、「田園交響曲」は、数年前からのモティーフの一部も見られるが、第5交響曲完成後に、 短期間で作曲された。自ずとこの二つの交響曲には、その違いが如実に聴き取ること ができる。ついでながら、「運命」の呼称は、我が国で必ずと言っていいほどに付け られて呼ばれるが、殊に本国ドイツでは、通常使われなず、単に、ハ短調交響曲(ハ 短調は1曲)ないしは第5(Funfte)と呼ばれる。

  第6交響曲ヘ長調は、初演時には、「田園の生活の想い出」と題され、各楽章には 標題が記されていた。しかし、出版時には、各楽章の標題はほぼそのまま記され、タ イトルは「田園交響曲」(Sinfonia Pastrale)とされた。バロック時代から「田園交響曲」 の名称の楽曲は、様々な形で存在するが、ハイドン以来の交響曲で、感情の表出とし ての新たな時代の標題音楽が生み出されることとなった。単なる絵画的な風景描写で なく、自然から受けた感情の描写がここに描かれている。それでは各楽章の標題を次 に記しておく。

   第1楽章 Alegro ma non troppo  田園に着いた時の愉快な感情の目覚

       第2楽章 Andante molto mosso  小川のほとりの情景

       第3楽章 Allegro                           農民の楽しい集い

       第4楽章 Allegro                           雷雨

       第5楽章 Allegretto          牧人の歌 嵐のあとの喜ばしい感謝の感情

  第1楽章は、社会の雑踏から逃れて、心地よい自然が迎えてくれる。人間社会の煩 わしさから離れ、自然の中に包まれて喜びも憂いも享受する。

  第2楽章も静に流れる小川のほとりに佇み、自然との対話を音楽が綴ってゆく。楽 章の終わりに、夜鶯・鶉・郭公の鳴き声が、それぞれフルート・オーボエ・クラリネ ットで模倣される。A. ジイドの小説「田園交響楽」の中で、盲目の少女が育て親に当 たる牧師に連れて行かれたコンサートでこの曲を聴き、まだ見たことのない世の中の 美しさを音で知ることになる。しかし、最後に手術により目が見えるようになり、牧 師と息子の愛の葛藤に悩み、目で見たこの世と人に失望を感じ、小川に身を投げ自ら の命を絶ってしまう。盲目の少女ジェルトリュードが心に描いた美しい世界。耳の聞 こえないベートーヴェンが描いたこの1・2楽章は、少女が聴きとった美しさを彷彿 とさせる。彼は、この数年後の手記に「森の木々が、聖なるかな、聖なるかなと言っ ているのが聞こえる。」と書いている。殊に「田園交響曲」では、自然の中から聞こ えない音・創造主の声を無限に描ききっているように感じる。

  第3楽章では、再び人の集いの中に入って行くベートーヴェンの姿、それはすぐに 第4楽章の「雷雨・嵐」によって遮られてしまう。最後の第5楽章「牧人の歌」は、 極めて宗教的な楽章である。「嵐のあとの喜ばしい感謝・・」とあるように、すべて のものが洗い清められたハイリゲンシュタットの田園に響く音。牧人の角笛、明るい 陽光に光る野からの歌、すべてが創造主を賛美する。終結部には、弦楽器群により主 題がコラール風に歌い上げられ、崇高な音楽が奏でられる。

  ベートーヴェンの「田園交響曲」は、自然から受けた感情の表出と同時に、宗教的 と言える音楽表現を聴くことが出来る。耳のほとんど聞こえなくなったベートーヴェ ンが、聞こえないが故に自然の中から多くの音を、言葉を聞き取った。それを更に、 豊かな音楽として我々に示してくれた。ジイドのジェルトリュードは見えないが故に ベートーヴェンの交響曲をとおして無限の美しさを見ることができた。

 

ンケン 音楽顧問
伊賀美 哲[いがみ さとる]
 
国立音楽大学声楽科卒業。波多野靖祐、飯山恵己子諸氏に師事。現在、田口宗明氏に師事。指揮法を故櫻井将喜氏に師事。1982年、第7回ウイーン国際夏季音楽ゼミナールでE.ヴェルバ、H.ツァデック両 教授の指導を受ける。1985年フィンランドのルオコラーティ夏季リート講座で、W.モーア、C.カーリー両教授の指導を受け、その後W・モーア教授にウ イーン、東京で指導を受ける。1986年から毎年、リートリサイタルを開催、シューベルトの歌曲集「冬の旅」、「美しい水車小屋の娘」、「白鳥の歌」、 シューマンの歌曲集「詩人の恋」等を歌う。千葉混声合唱団では、ヘンデル「メサイア」、モーツアルト「レクイエム」、J.S.バッハ「ミサ曲ロ短調」「マタイ受難曲」などを指揮する。現在、千葉混声合唱団、かつらぎフィルハーモニー指揮者。